冬、佐世保の夜。その年は雪が多かったように記憶している。
「出身は島原ですか。僕も住んでいたことがありましたよ」友人はそう言った。知り合ってそれほど経たない頃の話だ。ちなみに彼は本当にこんな話し方をするし、それは今でも変わらない。
 四才の時から彼は島原に育ち、小学校四年生の九月、父親の勤務に伴って大分に転校した。これが最初の災難。以来、高校卒業までに三回の転校を経験したという。島原での記憶はと問うと、犬だと答えた。
「犬?」
「ええ、犬です。転出するその日、僕は母と小学校に行ったんです。手を引かれた妹も一緒でした。手続きはとても事務的でしたね。終わって僕らが帰るとき、校庭はカラッポでした。夏休みが終わったばかりで生徒もいたんでしょうけど、なぜか校庭には誰も見えませんでした。そして、一匹の犬がいたんです。妙によく憶えています。薄汚れた犬で、鉄棒の辺りを横切ってましたよ」
 鮮やかなイメージのある光景だと思った。そしてとても悲しい話だ。アンドリュー=ワイエスの絵を私は連想した。
 どうも幼い頃の想い出は、鮮やかなイメージを持つ一枚の絵として心の縁に沈殿していることが多いような気がする。それも単なる絵ではなく、まるで紙芝居のように裏側にはメモ程度のト書きが付いたやつだ。人はこういった絵を、必ず何枚か持っていて、それがその人のトーンを象徴しているように感じる。
 彼は「紙芝居というのは、とてもあたってますね。けれどそれは人の価値観や性格にまで関わっているもんじゃないですよ」と断言した。
 その後、しばらく話題は別の方向に歩きだし、何度か僕たちは笑った。
 なにか軽い話を聞きながら、頭の後で、ぼうっと対岸の灯の光景を思い出していた。僻村の浜辺に僕は育った。夏の夕べ、黄昏が海と空を溶け合わせる頃、対岸の灯が震えながらビーズ状に連なり現れる光景。私の脳裏に焼き付いた絵だ。ふと私は、不思議なことに気付き思わず唸った。その浮かんだ光景の中に、幼い自分の姿があるのだ。彼は背中をこちらに向けて、対岸の灯をじっと見詰めていた。自分のいる光景を、僕は思い出していたのだった。決して見たはずのない光景だ。
 犬のいる光景を思い出すようにと、僕は彼に頼んだ。彼の完了を待って、その光景の中に自分がいるだろうと尋ねた。「なるほど」彼も唸った。
 僕達は単にシャッターを押しているだけではなかった。光景に縁取りを与えている視点の存在。私はレストランの調理場を覗いたような気まずさを覚えた。
「当てようか、犬のいる光景はくすんだ色をしてるだろう」と僕がきく。分りますかね、と彼は答えた。
 まるでカントの認識論のようになりそうだから、ここらで深入りは止める。

 数か月後、友人と僕は島原にでかけた。彼にとっては例の転校以来の訪れであり、ちょっとしたセンチメンタル・ジャーニーだったし、僕にとっては野次馬根性充足の旅だった。不確かな記憶を元に、彼が昔住んでいた社宅を探そうというのだ。「まだあるのなら、だいぶ古びてるはずです」そういう彼の顔は、はずんでいた。何度か市内を往復した後、中心街から山手に幾分登ったあたりで、彼は「車を止めてください」と言った。
「ここを少し入ったところだったと思います」彼は小走りで路地に消えていった。
 ようやく脇道に車を寄せ終えドアを開けると、こちらに引き上げて来る彼の姿があった。
「誰が住んでいるのか知りませんが、玄関に喪中の紙が貼ってありましたよ」苦笑いをしながら彼が言った。
「寂しいね」僕も曖昧に笑った。
「なにも喪中じゃなくてもいいだろって感じですね」彼がはいたこの台詞を、忘れられない。
 一九八六年、盛夏。思い思いの笑いを浮かべ、僕達は強い日差しの下に立っていた。

 よかったら転校生の話をいつか書いてください、と彼は言った。しかしこの文章は多分彼の意に反することだろう。彼は、創作をやってくれ、と言ったのだから。けれど犬の話はそれほど好奇心をそそる。彼が犬と出会ってから五年後の話を知れば、これは益々のことだろう。
 それから五年後、彼は佐世保で高校生活を迎えた。学年中七番で進学校に入学を果たす秀才ぶりを彼は披露したが、またもや転校の憂き目に会った。一年終了時点のことだ。それから2年後、彼は熊本の私立校をほうほうの体で卒業した。彼が受け取ったものは、ぎりぎりの出席日数と成績が記された通知表だった。
「考えてみると、僕には母校と思える学校がありません。幼馴染みがいないのと同じです」彼の言葉である。
 彼が降り積もらせてきた心象光景は、想像するに痛い。けれど僕は単にそれがもつ疎外感だけで惹かれているのではない。光景の解釈に今も拘りを感じ続けているのだ。どうしてかと説明を求められても、うまく話せない。だからこそ、こうして書いている。文章の生産性とは本来そうしたものだろう。転校生であり、最後には不登校となった彼の話が、あなたにうまく伝わらなかったら、それはまず僕の拘りのせいだ。